自分の時間の多くを「自分のためだけ」に使えて、
その分、時間的ゆとりが生まれるセミリタイア生活。
そんな生活に憧れを抱き、実現するため現在奮闘中です。
ですが、いざセミリタイア生活を送るとその幸せは薄れ、長くは続かないかもしれません。
それでも私がセミリタイアを目指す理由について紹介していきます。
セミリタイア生活の「幸せの持続性」について
まず前提として、私はまだセミリタイアをしていません。
現在セミリタイアを目指している最中です。
そのため、以下で記載する考えは全て私の頭の中で想像しただけのもの。
実際に体験したわけではないので、説得力に欠けるかもしれません。
ですが、後から振り返ったらそれはそれで面白そうだったので、
説得力はゼロかもしれませんが、あえて私の考えを紹介していこうと思います。
セミリタイア生活を送ると幸せは薄れるか?
「セミリタイア生活を送ると幸せは薄れるか…?」
その問いに対する、私の答えは「薄れると思う」です。
なぜなら、慣れてしまうから。
セミリタイア生活を毎日送るとその生活も次第に慣れ、「当たり前」であると脳は判断します。
当たり前になると、それは単なる日常になる。
単なる日常になると、幸せは薄れて当然ですよね。
例えば単純な例ですが、
風邪をひいて高熱が出たとき、これまで当たり前だった健康な身体にありがたみを感じます。
風邪が治った後は、健康な身体で過ごせる生活に幸せを感じる人は多いですが、
それも数日経てば当たり前となり日常に戻る。
これと同じで、最初はセミリタイア生活に幸せを感じていても、毎日過ごしているとそれが当たり前となり、日常となってしまう。
そうなると必然的に、セミリタイア生活に対する幸せは薄れるのが当然だと思っています。
幸せである「事実」は変わらない
セミリタイア生活の幸せが薄れると分かっていても、それでも私が目指す理由は、
「セミリタイア生活が幸せである事実に変わりはない」
からです。
先ほどの例を使うとすると、
風邪が治って健康な身体で過ごす生活が当たり前になり、それに幸せを感じることがなくなっても、
「健康な身体であること」自体が幸せである事実は変わりません。
健康な身体でなければ、どれだけお金を持っていようが、どれだけ自由な時間を持っていようが、できないことは山ほどあります。
セミリタイア生活もこれと同じことだと思っていて、
セミリタイア生活に慣れて幸せを感じる瞬間が減ったとしても、その生活を送れること自体が幸せである事実に変わりはないはず。
- ゆとりある自由な時間をたくさん持てる
- その時間を自分のためだけに使える
- 無理してお金のためだけに働かなくていい
- 労働を軸に置いた生き方をしなくていい
などなどセミリタイア後はこれが当たり前になります。
ですが、セミリタイア後にもしこの自由が奪われるとすれば、これまでの生活がどれだけ幸せであったか痛感することでしょう。
セミリタイア生活に慣れ、たとえ幸せが薄れたとしても、幸せである事実に変わりはない。
私はそう信じてるので、セミリタイアを目指しています。
答え合わせは、セミリタイア体験後に
以上、セミリタイア生活の幸せの持続性について私なりの考えを紹介してきました。
これらはあくまで想像上のものであって、実際に体験して得た考えではありません。
「セミリタイア生活を送ったら全然違った…!」
なんてことになる可能性も。
この答え合わせは、セミリタイアを体験した後、このブログを通して行いたいと思っています。
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コメント
7年たってるけどそんなに薄れた感じはないな
逆にコロナもそうだけど、いろんなことが起きてセミリタイアしてなかったらどうなってたか考えると怖くなることも多い。
実体験に基づく意見ありがたいです!
参考になります🐈
私もセミリタイアという生き方があることを知らなかったら…と考えるだけで怖くなることあるので、その気持ち理解できます。
数日前から読ませてもらっています。きれいな文章で読みやすいです。興味深くためになる記事が多いですね。更新楽しみにしています!
読んでいただきありがとうございます🍀
めちゃくちゃ嬉しいお言葉…!嬉しいです🥹💗
これからもおもしろいと思ってもらえる記事を更新し続けられるよう頑張ります(*•̀ᴗ•́*)و✨
賃金のための労働から解放され、肉体的・精神的にフレッシュな状態でより自由に日常を送ることにより、自分が歩むべきに道に導かれることもあるかもしれません。セミリタイアがさらに幸せな道へのスタートになる可能性もありますよ(^-^)