一人でいるより、友達、恋人、家族など
「誰かと一緒にいる方が落ち着く」
と多くの人は言いますが、
私は一人でいる時の方が遥かに落ち着きます。
一人だと余計な気を遣わなくていいし気疲れすることもない。
なのでわざわざ友達や恋人を作りたいと思わないし、きっとこれからも作ることはないと思っています。
「人と関わるのが疲れる」と感じる理由
私が「人付き合いしたくない」「一人でいたい」と考える理由はこちらです。
- 常にいい人を演じようとする
- 空気を読み過ぎる
- 他人に興味がない
常にいい人を演じようとする
「人といると疲れる」と感じてしまう一番の原因がこれです。
私は子供の頃から猫を被る性格で、「自分の本心を出して人と接する」と言うことをほとんどしてきませんでした。
そして、今も本当の自分をさらけ出して接することができる人はいません。
もちろん家族にも本当の自分は出していないです。
両親はどこにでもいるようなごくごく普通の両親で、どこにでもいるようなものすごーく平凡な家庭で育ちました。
学生時代にいじめられたこともないし、成長する過程で心が病んだことも一度もない。
なのでなぜ自分が常に猫を被って、いい人を演じるようになってしまったのか理由は分かりません。
20代前半までは、世の中多くの人にとってこれが普通で、皆んな誰に対しても猫を被って生きてるものだと思っていました。
だけど全く誰にも自己開示してないって人の方が稀ですよね。
社会へ出て大人になるにつれてそれに気づき、「自分じゃない違う誰かを演じてる自分」に疲れてしまったのだと思います。
誰に対しても本当の自分を出すことはないし無意識にいい人を演じてしまうので、どこへ行ってもうまく立ち回ることはできるのですが、自分を偽っている分やっぱりどこかで壁を作ってしまう。
だからといってその壁を壊したいと思わないし、誰かに自己開示したい・本当の自分を知ってほしいとも思わない。
猫を被って作り笑いを浮かべて人付き合いするのは疲れるので、やっぱり私は一人でいる方が落ち着きます。
空気を読み過ぎる
これも人付き合いがしんどくなる原因。
今は空気を読み過ぎないよう気をつけてるのですが、
- 自分が放った言葉
- 相手が放った言葉
- 相手の態度
- その場の雰囲気
などを気にし過ぎてしまうので、
「人間関係って本当にめんどくさいし、本当に疲れる」
といつも感じてしまいます。
言葉を発する際も、
空気を読んで選んだ言葉を放った後に、「こんな風に思われてないかな?」「言葉の意味を勘違いされてないかな?」など必要以上にぐるぐる考えてしまい、
相手が放った言葉についても考え過ぎてしまうのでなんだかいつも無駄に消耗します。
偽りの自分を演じて空気まで読んでしまう分、相手のちょっとした言葉や態度・その場の雰囲気に自分がどんどん染まっていって、一体自分は誰なのかさえ分からなくなってしまう感覚をも覚えてしまう。
こんなんじゃ人付き合いが疲れると自分でも分かってはいるけど、空気を読むのに慣れ過ぎて
「空気を読まないってどうするんだっけ?」
って状態です。
他人に興味がない
ずっと猫を被って自己開示しないのも、
空気を読み過ぎて自分が周りの空気に染まってしまうのも、
結局のことろ「他人に興味がない」からそうなってしまうのだと思います。
人付き合いが上手い人を見ていると、相手に興味を持って、周りの空気なんて気にせず自分から自己開示して積極的に話しかけてる人が多い。
だけど、私はそもそも「人」そのものに興味がないので、雑談したところでいつも当たり障りのない話ばかりになってしまいます。
そもそも人に興味がないので、話したところでいい返しができず会話はすぐ途切れるし、自分の話・相手のプライベートに踏み込んだ話は基本的にしません。
もし自分のことについて色々聞かれても、簡単にしか答えないようにしています。
そんなやりとりの中で「私が他人に興味がないこと」を相手は無意識にも察知し、自然と壁が生まれていくんでしょうね。
人との関わりがしんどい・苦痛なら、人付き合いをやめるのもアリ
そんなこんなで私は人付き合いが苦手なので、一人でいる方が圧倒的に落ち着きます。
猫を被ったり空気を読む、自己開示できないなどの性格は昔からなので今さら治すのは難しいし、そもそも治したいと思ってないので、私はこれからも一人でいることを選び続けると思います。
私自身一人でいることに対してマイナスを感じてないし、一人でも十分楽しめているので、きっとこれからも無理に人付き合いはせず一人で過ごしていくんだと思います。
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